陽性判定が出ても、これまで「今回もだめ」ばかり経験してきた私は手放しで喜ぶことができなかった。
年齢が高いほど流産の確率は高い、障害を持って生まれてくる確率が高い、など
不妊治療中のちょっとしたタイミングで吸収してきた知識によりマイナス思考にしかならない。
もし万が一のことがあったときの心構えをしておくかのように、
ドラマやなんかで見る「やったー!」と夫婦で喜び合うようなことは、我が家ではしなかった。
ただ粛々と、ちゃんと子宮内に着床しているだろうか? してた、よかった……
ちゃんと心拍が確認できるだろうか? できた、よかった……
と、一回一回心配してほっとして……の繰り返しで、病院に通った。
ちなみに、結局これが子どもが産まれるまでずっと続く。
「安定期」という言葉はあるが、私は安定期に入ったとたんに出血して、
「安定期」と言えども全然安心はできないなと思った。
世の妊婦さんたちは傍から見るとただただ幸せなものだと思っていたが、
子どもを無事に産むために常に不安と隣り合わせなのだ。
不妊クリニックは、心拍が無事に確認できたら卒業だ。
ちょうど年末年始を控えていて飛行機に乗ってよいものなのか相談しようと思っていたが、
「このままいくとその前に卒業になるので、転院先の病院で相談してください」と言われ、
妊娠してしまうとなんだか呆気ないものだなあと思った。(結局大事をとって帰省するのはやめた)
ところで卒業と言えば、長らくクリニックに通っている中で、
「ああ、あの人、妊娠できたんだなあ……」とわかってしまったことが2回ある。
1回目は私が待合室で順番を待っているときに居合わせた夫婦だった。
たくさんの患者さんたちで待合室のソファーは混雑していたが、
たまたまそばに座っていたその夫婦が、エコー写真を手にして嬉しそうに笑っているのを見てしまった。
エコー写真は通常の診察ではプリントされない。
あー、あのひとは赤ちゃんができたんだなあ……。
2回目も待合室で順番を待っているときだった。
診察を終えて診察室から出てきた女性が診察室のほうに振り返って、
深々と九十度お辞儀をして「本当にありがとうございました」とちょっと涙声で言って帰っていった。
あー、あのひとは赤ちゃんができて今日が卒業なんだなあ……。
クリニックに通う患者さんたちは一丸となって同じ目的に向かってそれぞれが努力している。
絶対に子どもがほしい!ほどではないマインドの私だって、お金と時間を使って頑張って通っている。
そんなときに、妊娠した人を見ると、さすがに心をかき乱された。
あのひとはいいなあーと羨ましくなる。
それに比べて私は……この先妊娠できるの? 私の何が悪いの? お酒ばっかり飲んでいたのが行けないの?
学生時代に部活も入らず運動も何もしてこなかったのがいけないの?
と、まあこんな感じになってしまう。
そんな経験をした私であるから、他の患者さんの心をかき乱すことなく速やかに退場しようと思っていた。
プリントされたエコーを見るのもカバンの中でこっそりとだ。
卒業の日、もう先生に会うのは最後。
先生に思い切りお礼を言いたいあの女性の気持ちはわかりすぎるほどわかる。
私も先生に
「本当に本当にありがとう。先生、若くて診察もあっさりだから最初はあんまり信用してなかったけど、
先生のおかげでここまでこれたよ、本当にありがとう。これみなさんでよかったら」と、
菓子折りの一つも渡したいところだけど、いつもと同じトーンで素知らぬ顔で帰る。
「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」と言われた。
ありがとう、先生。
不妊治療の費用について、
多少抜けている領収証もあるかもしれないが手元にあるものを計算したところ、
保険適用前:検査いろいろ+タイミング治療数回+人工授精4回+体外受精1回
保険適用後:体外受精3回+ERA検査
合計158万6455円
であった。
高いのか安いのかはよくわからない。
幸運にも妊娠することができたことを考えると安い気もするし、
もし妊娠することができていなかったら高いと感じるだろう。
確実に言えるのは、もし保険適用がなかったら妊娠するまで続けることはできなかった。
保険適用がなかったらおそらく300万円以上になっていただろう。
このお金は国のお金から出るわけなので賛否両論はあろうし、
これまで保険適用がないため大金を払ってきた人たち、
大金を払っても妊娠できなかったひとたちがたくさんいることを考えると、暢気に喜ぶのは憚られるが、
幸運にもタイミングよく保険適用になったおかげで赤ちゃんを授かることができて本当に感謝である。
ところで、運命をなんとなく信じる派の私だが、世の中には、
体外受精で子どもを授かるなんて、自然じゃないのでは? 運命に逆らっているのでは?
と考える人や宗教もいる(ある)だろうと思う。
私としては「神様はすべて折込積みで、体外受精で子どもを授かることまで計算通り」と思っている。
ので、決して神様や運命に逆らっているわけではなく、むしろ神様は祝福してくれると思うことにする。