不妊治療⑧ -2週目 採卵と胚盤胞移植

手持ちの胚盤胞がなくなってしまった私は、またまた1からやり直しだ。
保険適用になり表面の負担はかなり減るものの、また会社を何度も中抜けして診察に通わなくてはならない。
また自己注射をしなければならないのも憂鬱だ。
ちゃんと採卵できるか、受精できるか、凍結できるか、融解できるか、着床できるか……。
飛び越えなければならないハードルがいくつも立ちはだかっている……。

 

治療が保険適用になったことにより、
初回の治療は夫婦揃って説明を聞いて同意書を書かなければならなかったり、
採卵までの準備として使用する点鼻薬の種類が変わったりと、
細かい違いはあったものの、やること自体は概ね変わらない。

 

2022年4月、2回目の採卵をした。
取れた卵子は2個だった。前回は1個しか取れなかったので嬉しかった。
前回は1個取れて1個凍結できたので、もしかして今回は2個取れて2個凍結か!?
と、浮足立ったが、凍結までたどり着いたのは1回目と同じで1個のみだった。
複数取れても凍結まで行けなければ意味がない。本当に、何個も凍結できる人が羨ましい。

ところで私はこの頃に、胚盤胞には5日目胚盤胞と6日目胚盤胞があるということを知った。
受精してから何日で胚盤胞まで育ったかということなのだが、
5日目胚盤胞のほうが6日目胚盤胞より妊娠率が高いらしいのだ。
前回私が移植した胚盤胞は6日目胚盤胞だった。そして今回凍結できた胚盤胞は5日目胚盤胞だ。
これは来たぞ、今度こそ行けるぞ。
7月、前回同様ホルモン周期で5日目胚盤胞、グレード3AAを移植した。

 

前回同様に妊娠検査薬を連日のように試した。
このとき初めて、本当にうっっっすらと線が出ているような……けれど薄すぎて陽性とはいえない……
俗にいう「心の眼」で見ると見えなくもない、という感じだった。
「気のせい??」と思いながら検査薬の写真を載せてくださっているブログなどを検索しまくった。
妊娠していた方のブログだと、「気のせいかも?」といううっすらの線が、徐々に濃くなっていく。
しかし私の検査薬はうっすらのままだった。
やっぱり気のせいかも。
または気のせいじゃないにしても、妊娠しているにしては薄すぎる。
どうせだめだろうなと思いながらも判定日を迎えたが、その日、私は夢を見た。

 

私は従姉の家の庭にいる。
空に大きな鷹のような鷲のような鳥が飛んでいて、それが私をめがけて降りてくる。
私がその大きな鳥を受け止めると、それがなぜか2、3歳くらいの男の子の姿になっている。
「一緒に来る?」と聞くと「うん」と答えたところで目が覚めた。

 

これは……とこの夢で私は期待するのである。
もしかして男の子がお腹の中にいるのでは?
しかし検査薬は相変わらず心の眼レベル。
夢のことがあるのでもしかして……と淡い期待を抱きつつ、私は病院に行った。

 

検査の結果は「一応着床はしている」ということだった。
お……と思った。
心の目見えるレベルの線は、気のせいではなかったのだ。
これまで散々まっっっしろ検査薬ばかり見てきたのだから、見間違えるはずがないのだ。
が、妊娠しているとするには数値が非常に低いという。
「でもここから数値が上がって妊娠する人もいるので、また一週間後に来てください」

 

夢で「一緒に来る」と頷いた男の子が本当に来てくれようとしてくれるのだと期待した。
あの子は鷹か鷲だったから、もし男の子が産まれたら鷹か鷲を名前に入れなくちゃと考えたりもした。

 

しかしその後、うっすら見えるような気がしていた陽性ラインは色を失っていった。

 

判定日から三日後には「これは確実に妊娠していないよね。節制しているのも馬鹿らしいわ」と
「一週間後」を待たずして、お酒を飲んだ。
(私はもともとお酒が大好きで、毎晩晩酌をする主人と一緒になって高頻度で飲酒していた)

 

一週間後、病院での判定は陰性だった。
あの子は去ってしまった。
体外受精すれば妊娠するでしょと楽観的に考えていた過去の自分。
なぜあんなに自信があったのか、謎だ。
そんなに簡単に妊娠できないから大勢の患者さんでいつもクリニックは混んでいるのだ。

 

結果はだめだったが、「一応着床した」というだけでも私は嬉しかった。
何がだめなのか原因がはっきりとはわからない不妊治療の中で、
私の子宮は着床しうるんだ!というのは大きな一歩だ。
ERA検査という着床の窓というのを調べる高額な検査があるのだが、
一応着床したということはきっと着床障害ではないのだろう。
今後、ERA検査はしなくてもいいな、と思った。

 

今回の移殖でかかった費用は採卵も含めて224575円であった。
本当に約3割に抑えられた。これは本当に感動的だった。保険って本当にすごい…。
賛否両論あるだろうが、産まれて初めて国の政策よ、ありがとうと思った。